ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 出演者のプロフィール

出演者(50音順)
大友良英近藤等則佐々木敦清水俊彦副島輝人高橋巖竹田賢一灰野敬二平井玄ベガーズバンケット(本間亮/亀田幸典)湯浅学
インタビュアー:大里俊晴
大友良英 大友良英(おおとも・よしひで)・・・ミュージシャン
1959年生まれ。ターン・テーブル奏者、ギタリスト、作曲家として世界各地で公演やレコーディングを行い、多くのアーティストとコラボレーションを行っている。即興・前衛音楽の領域で活躍する一方、『青い凧』『息子の告発』『風花』『路地へ 中上健次の残したフィルム』『カナリア』などの映画音楽を手がけ、国内外から高い評価を得ている。
LINK:大友良英 日本語ホームページ
近藤等則 近藤等則(こんどう・としのり)・・・ミュージシャン
1948年愛媛県生まれ。京都大学卒業後、上京。フリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼーションの領域で音楽活動を開始。78年にニューヨークへ移住。ワールドワイドな活動をスタートする。84年にIMAバンドを日本で結成し、世界各地でライブを敢行。93年、アムステルダムに拠点を移し、イスラエルのネゲブ砂漠から “地球を吹く”を開始。アンデス、ヒマラヤ、熊野等でエレクトリック・トランペットによる即興演奏を行う。2005年、黒田征太郎らと共にPIKADON projectを開始。アムステルダムと東京を二大拠点とし、ライブ&制作活動を展開中。
LINK:近藤等則 KONDOMANIACS
「批評という結果じゃなくて、それをする行為自体が間さんにとっては自分がさらに前進するために不可欠なことだったし、そういう批評っていう行為をするためには外から見ているんじゃなくて、自分自身もアクションを起こさないと書けない、と。ナマものを扱っていたわけだからね。西洋クラシックのできあがったやつを批評したわけじゃない、今起こっている即興演奏だとかそういうものを扱っていたわけだから、本当に闇の中を手探りで進んでるのと同じだよね」
佐々木敦 佐々木敦(ささき・あつし)・・・批評家
1964年生まれ。96年にHEADZを設立。各誌に寄稿の傍ら、雑誌『FADER』の発行やコンサート制作なども行う。著書多数。
LINK:FEDERBYHEADZ.COM
「その時その場にいた者とそれをその記録でしか知り得ない者との違いというのはもちろん決定的なんだけれども、それをことさらに、あらかじめの喪失というか、マイナスというふうには考えないということですね。まあ考えていないというか、考えても仕方がないというか。だからあくまでもレコーディングなり記録なり、そういうものがある力とある厚みを得て以降の音楽に関わっているものだから、それは仕方がないから、そこから始まるしかないっていうことだと思うんですよ」
清水俊彦 清水俊彦(しみず・としひこ)・・・詩人、批評家
1929年千葉県生まれ。詩作と並行して音楽・美術批評に携わる。著書に『清水俊彦 ジャズ・ノート』『ジャズ−感性と肉体の祝祭−』『ジャズ転生』『ジャズ・アヴァンギャルド』『ジャズ・オルタナティヴ』、共著に『日本ジャズ伝』、詩集に『直立猿人』などがある。
2007年5月21日逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
「ミュージシャンが嫌でも引っ張られたというよりも、ミュージシャンの方から〈間学校〉へ入門したっていうのが本当の姿です。だから、やり過ぎじゃ全然ないと思う。やり過ぎたのは喧嘩(笑)」
副島輝人 副島輝人(そえじま・てると)・・・ジャズ評論家
1931年東京都生まれ。60年代より主に前衛ジャズの評論を手がける。また、演奏活動のプロデュースや海外のジャズ・フェスティバルの記録映画を制作するなど、幅広い活動を行っている。著書に『現代ジャズの潮流』『日本フリージャズ史』がある。
2014年7月12日逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
「一斉に何か文化が少しざわざわっと、世界の芸術がゆれて、何か新しい風が吹いた。それが1980年。ちょうど78年頃からその胎動が始まったんで、間章がそこで亡くなったのが非常に不幸だった。彼だったら、今、何と言うだろう」
高橋巖 高橋巖(たかはし・いわお)・・・美学、神秘学専攻
東京都生まれ。70年代からルドルフ・シュタイナーの思想を日本に紹介し、85年に日本人智学協会を設立。『ディオニュソスの美学』ほか、著作多数。
「たぶん、間さんが〈廃墟〉と言ったときの廃墟は、自分の存在のことだったのではないでしょうか? 自分の存在が廃墟なんだ、ってことから出発するのが彼にとって一番真っ当な出発点で、自分の中に廃墟を抱えている者同士の出会いというのが彼にとっての新しい共同体の出発点だったとか……」
竹田賢一 竹田賢一(たけだ・けんいち)・・・ミュージシャン、音楽批評家
1948年生まれ。74年坂本龍一とマルチメディア・パフォーマンス・ユニット「学習団」を結成。79年エレキ大正琴ソロ活動を開始。81年アンチ・ポップ・バンド「A-Musik」結成。国内外のフェスティバル・演奏ツアーに参加。また批評家としては、『月刊ジャズ』『ミュージック・マガジン』『スタジオ・ボイス』などの雑誌に音楽批評を多数執筆している。
「人との関係の持ち方の違いがいろいろな組織論につながってる面はありますよね。間さんは新潟出身だけど田中角栄を高く評価していると聞いて驚いたことがあった。でも、それは日本的人脈の作り方みたいなことの大切さを間さんは疎かにしなかったから。僕は苦手で、みな個々ばらばらで、そのような関係でしか人と付き合えないので」
灰野敬二 灰野敬二(はいの・けいじ)・・・ミュージシャン
1952年千葉県生まれ。71年日本初の即興ヴォーカルを用いたロック・グループ「ロフトアラーフ」を結成。その後ソロ活動と並行して、阿部薫らとの「軍楽隊」、竹田賢一らとの「バイブレーション・ソサエティ」の活動を経て、1978年に「不失者」結成。現在は「ソロ」「不失者」「哀秘謡」として、デレク・ベイリーやバール・フィリップス、田中泯、大野一雄など多岐に亘る共演者と公演を行っている。
LINK:灰野敬二 魂を操る司祭
「自分のものをつくるというのは大変なんだよ。よく天才とか才能とか言うけど、そんなものとは全然違う。やっぱりひとつの音を、半音を使うその時にリスクがガンッとくるわけじゃない? 音の半音じゃなくて、意識の半音を使うということは今までの定義に属さないわけだから、お客さんが1000人から10人になる。CDも100枚で終わるわけだから。それを犯せるか、犯さざるを得ないのかはわからないけれど、そういう人種がいる」
平井玄 平井玄(ひらい・げん)・・・批評家
1952年生まれ。運動としての、階級闘争としての音楽批評を展開。1980年代には府川充男、竹田賢一、後藤美孝と音楽雑誌『同時代音楽』を編集。著書に『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』『引き裂かれた声』『暴力と音』『破壊的音楽』『路上のマテリアリスム』、共著に『音の力』『20世紀のロック』などがある。
「デレク・ベイリーは単に個の即興みたいなものを追求しただけではなくて、個の即興がいろんな形であって、それを横断させていくというか、いろんな組合せのパターンを生み出していって全体を豊かにしていくという、彼なりの構想があったわけですよね。それについても間章は非常に高く評価していて、それこそ謂わば、個のつながりによるある種の社会の比喩であったかもしれない」
本間亮

亀田幸典
ベガーズ・バンケット:本間亮(ほんま・あきら)/亀田幸典(かめだ・ゆきのり)
本間亮1953年、亀田幸典1954年生まれ。1972年に、間章が初めてオーガナイズしたイベント「自由空間」の手伝いを頼まれ、間章との交流が始まる。「自由空間」後、間の命名によるロック・バンド「ベガーズ・バンケット」を結成、アルバム『HARD TREATMENT』を発表した。公私ともに間章と深い親交があった。
(本間)「誰彼と区別なく喋るんですよ。明らかに敵だってわかっている人間に対しても、汗流しながら喋ってましたからね。俺に対しても、言ってもわからない人間だから適当なことでいいだろうということでなくて、真剣に喋るわけですよ。でも、真剣に喋れば喋るほど、こちらは全然わからんわけです」
(亀田)「間さんが言うようなエネルギーを一生やっていくのかって考えた時に、ミュージシャンってすごいプレッシャーになったと思いますよ。だって、明るい未来が見えないわけじゃないですか。どう考えても、だんだん地獄に入っていくようなもんですよね。ただ、今考えるとね、間さんの思っていたのはその先の開けた世界だったと思うんだよね」
湯浅学 湯浅学(ゆあさ・まなぶ)・・・音楽評論家
1957年神奈川県生まれ。「幻の名盤解放同盟」の一員として、多数のCD監修を行う一方、音楽番組のパーソナリティや即興演奏、DJを務める。著書に『音海』『音山』『人情山脈の逆襲』『嗚呼、名盤』、共著に『ディープ歌謡』『豪定本ディープ・コリア』『時代の体温』『モータウン・ハンドブック』などがある。
「意味のわからない文章が書けるっていうのは芸だと思ったんだよ。芸能なんだよ、それ。間章の文章も、そういうものとして読んでいた時期がある。意味を手繰っていく対象として文章が存在する、という在り方もあるんじゃないかな」

インタビュアー
大里俊晴(おおさと・としはる)・・・作家、ミュージシャン、横浜国立大学助教授
70年代後半「ガセネタ」「タコ」などのユニットで活動。著書に『ガセネタの荒野』など。
2009年11月17日逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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